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瞑想

質問 :「瞑想中は心が静かなのですが・・・」

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この記事は2020.12.16、20:18更新たしました。

更新内容:記事に加筆修正をいたしました。

生徒から質問

生徒:瞑想中は心が静かなのですが、日常生活に戻ると心の落ち着きがなくなってしまいます。

どうすれば良いでしょうか?

 

言葉による伝達

どうもしないことだ・・・(笑)

 

「心」そのものは、身体の内外の変化を察知するセンサーとして動くことによって機能しているのだ。

 

だから、そのことに対して「あなた」がどうこうする必要などない。

むしろ、落ち着くべきなのは「あなたそのもの(自己)」なのだ。

もしも、あなたが内なる安らぎを求めているのなら、「あなた」は動くべきではない・・・

 

たとえるなら、マンションの監視室に備え付けられたいくつかのモニターが心であり、その監視人があなた(自己)だ。

この現象世界で生きていくためには、(内外を映し出す)モニターは常に機能していなければならない。

その人の生き様や人間関係等により、そのモニターに映し出される景色の美しさには個人差があるのだが・・・

 

あなたのマンションの中には、どんな人たちが住んでいるのだろう・・・(笑)

どんな人たちが行き来しているのだろう・・・(笑)

この質問において、あなたが問題にしているのは、モニター内(心)に映し出された通行人(想念)のことでしかない。

しかし、悟りとはあなたそのものについてのことなのだ。

それは視点の問題でもある。

 

ここで私がいうところの「モニター(心)」と「監視人(自己)」との違いがわかるかい?

単なる知的理解としてだけではなく、その実際的な感覚をも含めて・・・

 

ならば、あなたが言うところの、すなわち思考や感情の落ち着きやざわめきに気づいているのは誰なのかね?

あなただ。

それが自己自己意識観照者、すなわち気づきの主体としてのあなただ。

ならば、自己(あなた)としてのあなたにとっては、気づきの対象物に過ぎない心(思考や感情)の落ち着きがなかったところで問題はない。

自己(あなた)が静まっていれば、気づきの対象物である心の内容物、すなわち思考や感情がどう動こうと問題ではない。

 

たとえるなら、こういうことだ。

あなたは電車に乗っている。

電車(身体)が動けば、窓の向こうの景色(心)も動く。

しかし、座席に座っているあなたそのもの(自己)は動いていない。

この時のあなたそのもの(自己)は、電車(身体)や景色(心)の動きに、本質的には影響されない。

 

 

そのような事実を理解かつ体現できる境地にまで、あなたの瞑想を、すなわち気づきと明け渡しを深めていかねばならない。

自己としてのあなた、すなわち、あなたそのもの(自己)に気づきの焦点を合わせ、それに明け渡すのだ。

透明で純粋な水は、光を遮(さえぎ)らない。

透明で純粋な心(ハート)は、目覚めの光を遮(さえぎ)らない。

透明で純粋な心(ハート)は、あなたを決して裏切らない。

そのことを信じなさい。

あなたのハートが純粋であるならば、やがて絶え間なき内なる瞑想の境地が訪れてくるだろう。

それが恩寵、すなわち神の愛というものだ。

あなたの意識内において絶え間なき内なる瞑想が自覚されたその時、あなたは動いていない。

そして、不変で不動のあなたが輝き始める。

 

それに心(思考や感情)とは本質的に動きまわるものなのだ。

心(思考や感情)は動くことが仕事であり、それが自然なのだ。

心(思考や感情)が絶えず動いていてくれるからこそ、あなたは他の人間や外的世界に対して適切に対応することができる。

心(思考や感情)が自動的に動いていてくれるからこそ、あなたは内なる不動の安らぎの中で、そのことに静かに気づいていることができる。

 

そこを間違えてはいけない。

 

あなたは心(思考や感情)ではない。

心(思考や感情)とは、あなたの道具なのだ。

身体も同様だ。

だから、なにも電車(身体)を止める必要はない。

窓の向こうの景色(心)の流れを止める必要もない。

電車が動いている限り、すなわち肉体としてのあなたが生きている限り、それは不可能なのだ。

いわゆるサマーディ(深い瞑想状態)の時のような、条件付きの一時的な状況でなら可能だがね。

しかし、そのような条件的無心は永続化しない

 

そして人は、儚(はかな)きものを求めれば、やがては苦しむこととなる・・・

それゆえ、永続化しないものには、大した価値はない。

それさえも、禅(ぜん)で言うところの魔境の一部のようなものなのだ。

 

「自己探求の道」においては、永続化しないものに価値はない

永続化しないもの、そのような気まぐれな心に由来する境地などは、ただの体験でしかない。

永続化するもの、ただそれだけが、不動の自己に由来する境地となり得るのである。

 

 

さあ、もうあなたは、窓の向こうの景色(心)については何も心配することはない。

この内なる静けさの中で、あなたを育んでいきなさい

簡単なことだ。

あなたが止まっていれば、それでいい・・・

動いているのは電車でしかない・・・

 

 

もっと理解を深めたい・・・

 

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